随想リレー2010 「校歌を作詞したころ」 佐々木 恵雄 先生

校歌を作詞したころ

 大川校長先生のご委嘱で、姫路別所高校の校歌制定委員の一人として、私が校歌作成の任にあたったのは、30数年前になります。
今、何枚もの古い資料を眺めつつ、当時の経過を述べてみようと思います。

1.校歌制定まで

 開校してから4年目、生徒からも「開校式歌」に代わる校歌制定が望まれました。
当時、校内の設備が整うのにつれて、学校の精神を高揚する校歌を制定することは、教職員や育友会役員の願いでした。
 昭和53年7月の「育友会会報」に、校歌歌詞募集の要項が掲載された。
その後の、校歌制定までの様子は、下記の順序のなります。

 昭和53年9月10日 公募〆切
 昭和53年晩秋   歌詞制定、作曲依頼
 昭和54年2月17日 作曲者が歌唱指導
 昭和54年2月23日 校歌の発表会

2.歌唱指導と発表会

 1979年2月17日、本校音楽教室で、作曲者林先生が歌唱指導された。
 校長先生、作詞者佐々木先生と総務部長東道先生などが同席される中、林先生は、合唱部員にユーモアを混じえて、歌唱指導されました。

 数日後、2月23日の体育館で、全校生徒と教職員と育友会役員約750名同席で校歌発表会が開かれました。
 校長先生の経過説明に続いて、作詞者と作曲者林雄一郎先生の挨拶がありました。
 新しい校歌を、林先生ご自身の指揮、2回生円尾さんの伴奏で合唱部員が歌い、全校生徒の歌唱指導が行われた。
 参列者一同も感激しつつ斉唱して、発表会は盛会裏に終了しました。

song

3.作詞の心

 私は、硬化制定委員の一人として、校訓「友愛・責任・自立」を掲げ、表されている立派な精神にふさわしい歌詞を作ろうと、8月中の早朝60分間を作詞の時間にあてました。
次に作詞について留意したことを点描します。

 歌詞全体に流れているモチーフ(中心心理)は、「大自然の恵みの中に建つ学び舎と、そこに学ぶ若人の意気と、暴行を讃える心」であります。
 中国の王陽明(1472年~1529年)の詩の一説に「青山はわが目に清く、流水は、わが耳に静かなり。」という詩句がありました。
私が本校に赴任し、初めて校舎を見渡したときの印象と、この詩句の心が同じで、私の胸に温存されたものです。

 第1連では、朝日に映える桶据山(おけすけやま、標高247m)の山麓に聳える学び舎よ、永遠に輝き続けよ。
という願いと、ここに集う生徒たちが「友愛」を深めるように、呼びかけました。

 第2連では、昼夜休む時なく流れる川面の活動性と、大池の水のように静かに、沈着な判断で、各自に決められた課題への「責任」を果たす姿を表しました。

  そして、第3連では、文化部や体育部の部員達が、夕暮れ近いグラウンドで「自立」の精神を鍛える情景を歌いました。
 以上で、校歌歌詞のことを終わります。

4.自分の言葉をもて

 当時の学校新聞から、転載します。
私が、神戸大学で教えを受けた楠道隆教授は、「いつも時代の変化に遅れずに、自分自身の言葉をもつこと。」と言われた。
教授の研究室で、毎月読書会を開き、豊富な知識のお話をお聞きしたことをなつかしく思い出します。
 「話題は、いつも新鮮であること。」「きのうは、こんなことを考えて実行できた。」と言えるような生活をしてほしい、と期待されましたが、まだ実現できていない。

5.おわりに

 自分を振り返る時、実行できなかったことを述べましたが、それだけに若い皆さまの心に留めてもらえれば幸いです。

  最後に、育友会、教職員OB皆様の一層のご発展をお祈りいたします。

(「会報 友城2010」『随想リレー』より)

【略歴】
 在任期間: 昭和52年04月01日~昭和55年03月31日